みなさんこんにちは。校長の高野です。
「望むような働き口」とはどのようなものでしょうか。それは私たち一人ひとりが見出していくほかありません。もちろん仕事の内容は大事ですね。でもそれだけでしょうか。
どんなに創造的な仕事内容でも、仕事がとてもストレスになることがあります。一方、どんなに単純労働で肉体的に厳しい仕事でも、楽しくてしょうがないということがあります。
後者の例が、昔の田植えでした。一反の田んぼ(30m四方くらい)を一人で田植えをしろといわれたら、つらいですね。2,3列植えたところで腰をあげてみると、ゴールははるか向こう。絶望的な気分(ちょっとおおげさ?)になります。農作業というのは、機械が入る前はこういう厳しい仕事だらけでした。実際は、田植えは結(ゆい)で行いました。親戚や近所から人手が出てきて、一反の田んぼを10人で田植えする。それを順番に10反やるわけです。
なぜでしょう?必要な労働力としては一人一反を10人がやるのと、10人で10反をやるのとでは同じです。なぜこういうややこしいことをやるかというと、それがつらい労働を楽しみに変えるからです。日本全国通津浦浦を歩いた民俗学者宮本常一の名著『忘れられた日本人』(岩波文庫)には、結で田植えをする女たちの会話が記録されています。ぺちゃくちゃおしゃべりしながらの田植え。だんだん話題は下ネタに。気づいたら一枚終わっているわけです。
おばあさんたちに聞くと、田植え歌を歌いながらの田植えは昔は華やかで楽しいものだったということです。結というのはつらい労働を楽しみに変える先人の知恵なのです。
このような田植えは、機械が入ってきて消滅しました。一家で一台の田植え機による田植え。そこに楽しいおしゃべりはありません。
ここに私たちにとっても大きなヒントがあるような気がします。
(つづく)