天職とは

みなさんこんにちは。校長の高野です。

 みなさん、今やっている仕事は自分の天職だと思いますか?そう自信をもって言える人は幸せですね。でもなかなかそういう人はいないのではないでしょうか。自分の天職とかライフワークとかいうものは何だろう。いつも思いますよね。

 天職に行き当たるには、自分は何がしたいのか、まずつきつめなければ・・・と思う人も多いと思います。でも、これはビギナー(笑)ですね。自分は何がしたいのか、自分で分かるでしょうか?自分さがしの旅に出てもなかなか見つかりません。「これだ」と思うものが見つかったように思っても、実際に実現しようとすると、うまくいかないことが多いと思います。実現しないものは天職にはなりませんね。

 なぜか。天職というのは英語のcallingの訳語なのです。直訳すれば、「呼ばれるということ」です。誰に呼ばれるのか。西欧では神様からです。つまり、自分が何をしたいのか、ということではなく、「神があなたに(あなたの意思にかかわりなく)与えた役割」ということです。

 私は残念ながら西欧で言う神さまというのがピンとこないのですが、同じことを日本人にもなじみの深い「ご縁」ということで説明することができます。この世はすべてご縁でできているのです。ご縁というのは、それぞれの人がそれぞれに役割を与えられて、この世ができているといことです。誰にもただ生きているだけで、いろんな役割があります。特にその役割が「はまり役」になっている状態。これが天職ということだと思います。

 具体例で。私は仕事でワークショップのファシリテータをする機会がけっこうあります。もともとそういうことをやりたいとか、やろうとして専門の勉強をしたとかいうことではありません。私は地球物理学というカタイ(笑)学問をやっていましたので、ワークショップなども経験したことはありませんでした。ただ環境学の分野に参入してから、いろんな人が話し合うというような場面にたくさん遭遇するようになりました。そうすると、そのうち、けっこうな人数の会合の司会進行をやってほしい、という話がきました。企画メンバーのほとんどが発言者になるので、手があいていたのが私だけだったという事情です。つまりご縁ですね。こういうのは苦手だなーと思いながら断れなくてやってみると、なんとかできました。

 そうこうしていたら、あるプロジェクトで、日本ではファシリテータとして第一人者のひとりの方が世話役となって行う事業に参画することになり、その方のやり口を目の前で経験する機会がありました。まさにご縁でした。そこでとても印象的なことがありました。プロジェクト本番直前のあわただしい中で、緊急の打ち合わせやろうということになった時、その方は、まずわざわざ重たいいすを動かして、みんなが向かいあって座れるように場をつくりはじめたのです。私はピンときたのです。そうか、常に参加者が対等な立場でかつ全体を見渡せる関係性の中で気持ちよくコミュニケーションをとれるように場をつくるのがファシリテータの仕事なんだと。オモシロイ!と思ったのです。

 それから、不思議なことに自分にもそういうことをやってほしい、という依頼が来るようになりました。もちろん本を読んだりして勉強しましたが、あとは見よう見真似でファシリテーションをやるようになりました。うまくいかないこともありながら、経験と工夫を重ねることで今では私なりのスタイルを確立し、一応プロのファシリテータとして仕事ができるようになりました。私としては難易度の高いワークショップの依頼があるごとに、自分が成長しているのを感じます。また参加者や企画者のみなさんが喜んでくださるのをみて、あぁよかったなと思います。これは天職だなと。こういうことを自分はやりたかったんだ、と後から分かるというわけです。

 すごいプロフェッショナルの人たちによくよく話を聞くと、だいたい似たような感じですね。たまたま頼まれたからとか、他にやる人がいなくてとか、そういうご縁でその世界に入っていっている人が多いです。

 ということは。天職というのは、ご縁を大切にして感謝して、できそうな範囲で「頼まれたら断らない」という態度でいれば、そのうち行き当たるということではないでしょうか。ミライの職業訓練校はそのような参加者どうしのご縁が「ピンとひらめく」場でありたいと思います。

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