オカネについて(1)

みなさんこんにちは。校長の高野です。今日はオカネの話をします。

「商売は/あきない/どうしてあきないなんだろう

おもしろくて/おもしろくて/しかたないから/あきない

いつもおもしろい/だから笑い顔/笑顔がたえない/そんな笑売めざします」

ある魚の直売店の壁にかかれていたものです。楽しそうですね。もちろんコピーライターが考えたのだと思いますが、経営者の気持ちが伝わってきます。

なぜ商売が楽しいのか。ひとつは、自分が選んだもの、作ったものがお客さんに買ってもらえる、という楽しさがあります。買ってもらうということは、評価してもらうことです。それが売り上げのオカネという形で見えることになります。これは楽しい。本当によいもの、人々が切実に欲しているものを作り売れば、結果として売り上げや利益がついてくるわけです。

でも落とし穴があります。オカネを稼げるようになると、往々にしてそのこと自身が目的になります。稼いだオカネの金額が楽しみの源泉になります。そうなると本末転倒ですね。これが進むと、オカネがオカネをうむことを追求しはじめます。株やFX、そしてギャンブルですね。

オカネには「物神性」があるという指摘をしたのは、『資本論』を書いたカール・マルクスです。オカネは単なるモノ(昔は金であり、紙幣はその引き換え券でした)なのに、人間よりエライ「神さま」の地位を得てしまう。人間がオカネに命じられオカネに奉仕するために生きることになります。強盗、詐欺などオカネめあての犯罪は今もあとをたちません。古今東西オカネによる悲劇が無数に生まれています。

オカネは今やモノではありません。銀行通帳の数字だったり、銀行のコンピューターのメモリに記録されている数値だったりします。つまり情報ですね。だんだん訳が分からなくなってきますが、それでもオカネは厳然として私たちの心を支配しています。なぜそれほどの力をもてるのでしょうか?

みなさんがある会社に投資したとします。それでその会社は商品を生産して販売し、利益が出て、みなさんは配当を受け取ります。戻して欲しければ元金も戻ってきます。つまり最初に投資されたオカネよりも利益分だけこの世界のオカネが増えたことになります。一方、みなさんがある商品を買います。対価として販売者にオカネを払います。その商品は消費されてこの世からなくなります(正確にいうと廃棄物になります)。ところが対価として支払われたオカネは決してなくなりません。つまり、生産された商品はどんどん消滅するけれども、オカネは消滅することなく、増え続ける一方です。魔法のようですね。

その魔力が人間をとらえてしまうのです。そのうち、あたかも人間の意を介さず、オカネがオカネをうむ、「自己増殖」がおこるように見えます。そのような「主体性を持った」オカネをマルクスは資本と呼び、人間でなく資本が主人公になった社会という意味で、近代の社会を資本主義社会と呼んだわけです。

私たちがオカネの魔力に対抗するにはどうすればよいでしょうか。

一つの取り組みは地域通貨です。シルビオ・ゲゼルが提唱した「腐る通貨」です。つまり一定期間しか有効でない貨幣。蓄えることはできず、増殖もしません。この地域でもおむすび通貨やモリ券という有効期限つきの地域通貨の取り組みがあります。

もう一つは私たちの心の持ち方です。オカネは情報にすぎません。それを神とあがめるのは滑稽です。私たちの心の持ち方ひとつでそれは避けられるはずです。インドの貧しい農村で開発支援をしている友人がfacebookですばらしい言葉を紹介してくれました。

“Money does not bring happiness but the happiness brings us the money.–Tola Soun “

「オカネは幸せをもたらさないけれども、幸せはオカネをもたらす。」

本末転倒を戒める言葉として、心に刻みたいものです。

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